衝撃

【衝撃】研修医「このままでは助かりません」医師「何もしなくていい。お看取り。ここで何かしたら……」

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これは、ある病院で研修医の方が呼吸器内科の指導医に言われたお話。

あまり良い話という訳ではないのですが、考えさせられるお話です。

研修医の方の体験

10年ほど前、私は東京のとある病院で研修中だったのですが、その時の担当患者さんの中に脳梗塞でほぼ寝たきりの女性がいました。年齢は88歳くらいだったと思います。もともと心房細動という不整脈があって血栓ができやすい状況だったので、抗凝固薬のワーファリンを内服していたのですが、内服が徹底できていなかったため血液が十分サラサラになっておらず、血栓ができて脳に飛んだ結果、脳梗塞になってしまったのです。

入院してからはリハビリを続けつつ、循環器内科の医師にも指導してもらい、抗凝固薬の効き目をしっかりコントロールすることになりました。しかしなにぶん高齢で、しかも脳梗塞のため日常生活動作がしっかりしているとは言い難く、また胃癌の既往もあって胃の4分の3が切除済みということもあって、内服薬の効き目をきちんとコントロールするのは難しい状況でした。

そんなある日、その患者さんが急に呼吸が荒くなり、血痰を吐いたということでドクターコールがかかりました。レントゲンを撮ると肺は真っ白で、血液検査をすると血液のサラサラ度合いが急激に上昇していました。何かの拍子にワーファリンが効きすぎてしまい、そのせいで肺胞出血を来していたのです。血を止めるためにワーファリンを一旦中止し、ビタミンKでサラサラ度合いを戻しつつ、呼吸を補助するためにBIPAPという陽圧換気用のマスクを装着しました。

それで一旦、小康状態を保てるようになったのですが、悪いことは続きます。BIPAPの陽圧によって負荷がかかってしまったのか、肺組織の一部が破れて気胸になってしまったのです。

予備力の少ない高齢者にありがちなことではありますが、一つ体に悪い所ができると、そこを治療してもまた別の箇所に不具合を来し、それを治療しようとするとまた別の箇所に・・・という悪循環です。その患者さんも心房細動→血栓のために脳梗塞→抗凝固のために肺胞出血→陽圧換気のために気胸、というドミノ倒しで、容体はかなり厳しいと言わざるを得ませんでした。

そうこうしている間に、気胸腔はどんどん広がっていき、呼吸状態は悪化の一途を辿ります。小さい気胸であれば漏れた空気が吸収されて自然に治ることもあるのですが、あまりに漏れた空気が多い場合、肺がしぼんで呼吸が困難になってしまいますので、漏れた空気を吸い出すために胸腔ドレーンという管を入れる必要があります。1cmくらいある先の尖った管を、肋骨と肋骨の間からズドン!と胸の中に向かって突き刺すという、見た目にはかなりショッキングな手技です。またそれをきっかけとして新たな合併症が・・・という嫌な予感はよぎるものの、助かるためには他に手はありません。

そのような状況で、呼吸器内科の指導医A先生が呼ばれました。
55歳くらいの経験豊富な先生です。
これまでの経緯を説明し、胸腔ドレナージが必要な状況を伝えた上で、手技の見守りやドレナージの設定について相談しようとしたのですが、そこでA先生はこう言うのです。

A先生「やらないでしょ」

・・・やらない?
胸腔ドレナージはしないということでしょうか。
でもこのままでは呼吸状態を保つことができません。
では他にどんな手があるのでしょうか?

A先生「何もしない。お看取り。ステルベン。

(※ステルベン=Sterben、ドイツ語で「死ぬ」の意味。よく医療者が患者が亡くなることを「ステる」と言う)

A先生「・・・あんた、ここで何かやって死んだら医原性だよ

・・・いや確かに、侵襲性の高い手技には一定確率で合併症が付きまといます。胸腔ドレーン挿入も、肋間動脈を傷つければ大量出血で死に至ることもあります。でも、放っておいたらどちらにせよ助からないし、病状はかなりシビアには違いないけれども、ここを乗り越えればもしかしたら回復に向かう可能性もわずかながらあるのです。確かに、患者自身の意識は入院した時から不明瞭で、このような状況になった時にどこまでやってほしいかなど、確認は不十分ですが、少なくとも家族は最後までやれることはやってほしいと言っています。それなら、合併症の可能性は覚悟の上で、わずかでも助かる可能性に賭けるべきなのでは・・・?

A先生「あのさ、今のこの状況だって、治療が全部裏目に出てこうなっている訳でしょ。それでも、今この状況でこのまま死んだら、それはまだ病死だよ。でもここで、こんな高齢で脳梗塞で寝たきりになっちゃったおばあちゃんに胸腔ドレーンまで入れようとして、それも裏目に出て死んだら、医者のせいだと言われても何の反論もできないよ

・・・。

A先生「あんたさ、何もしなければどの道死んじゃうからとか、患者のために良かれと思って何かやって、それでも患者が死んだ時に、豹変した家族から恨み言言われたりとか、果てはあんたのせいで死んだとか、人殺しとか、そういうこと言われたこと、ないだろ?世の中そんなことばっかりだ。もうこりごりなんだよ

・・・その場では何の言葉も返せませんでした。

その後、別の指導医も来たりして、やっぱり何もしない訳にもいかないだろうという話になり、細めの胸腔ドレーンを入れたりして治療を続けたのですが、結局その患者さんは10日後くらいに亡くなってしまいました。

その患者さんをお見送りする時、ご遺族はどんな顔をしていたでしょうか。人殺しと言われなかったのは確かですが、最期は管だらけで亡くなった患者の姿を見て家族がどのような気持ちだったのか、表情から推し量ることはできませんでした。

そして、A先生の言ったことはどこまで正しかったのでしょうか。

もちろん、色々な要素があるのでしょう。この患者さんに関して言えば、もともと合併症をいくつも抱える90歳近い高齢者が脳梗塞、肺出血、気胸という状況に晒されれば、もう回復の可能性は限りなくゼロに近いということも十分予見できていたのでしょう。

そして、A先生がそれまでにどれだけ壮絶な経験をしてきた結果、そのような考え方に至ったのかについては、その後話を聞く機会は結局ありませんでした。モンスターと化した患者や家族に何度となく裏切られてきたのかもしれないし、でももしかしたら、A先生が患者たちとの信頼関係を築く努力を怠っていた結果なのかもしれないし、それはわかりません。

言えることは、やることが100%成功する医者はいないということ。そして、どんな患者さんも最後は必ず死ぬということ。助かる命がきちんと助かるように全力を尽くすことが医者の第一の存在意義かもしれませんが、患者さんの死に方を考えることも同じくらい大事なのかもしれません。

今でも、A先生の方針が正しかったと全面的に受け入れる訳ではないですが、「じゃあお前はどうするんだ?」と考えさせられたという意味では、A先生と言葉を交わしたことはとても貴重な経験だったと思います。

出典:Quora